方広寺は秀吉により建立されたお寺です。東大寺の大仏より大きな18mの高さがあったと云われていますが、慶長元年(1596)に地震により倒壊してしまいました。その後、秀頼により再建されましたが、落雷火災で焼失した後は同じ規模のものは再建されることはありませんでした。当時のものとして残っているのが梵鐘です。大阪の陣の引き金となった「国家安康」と刻まれた有名な鐘です。重文に指定されています。この大仏殿は現在の方広寺境内だけでなく、豊国神社・国立博物館を含む壮大なものだったようです。 
この石塁も太閤により大仏建立のために造営された方広寺の石塁です。当時石塁をめぐらした中心伽藍の規模は正面幅259m奥行き230m桁下89m、梁行55mの大仏殿が置かれ身高約20mにおよぶ木像の廬舎那仏が安置されたようです。巨石のひかえ積みには、石仏・石塔・板碑などが多く使われていたようです。
耳塚(鼻塚)とも云われている塚で、天下統一した豊臣秀吉が更に大陸にも手を伸ばし朝鮮半島に侵略した文禄・慶長の役にかかわる遺跡です。渡海した武将は古来一般の戦功の印である首級のかわりに朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ塩漬けにして日本に持ち帰ったようです。そして、持ち帰った耳や鼻を秀吉の命によりこの地に埋められ供養の儀がもたれたと伝えられています。この戦争は朝鮮半島における人々の根強い抵抗により敗退に終わったのですが、京都に現存する秀吉の遺構の一つとして知られています。一時非難が凄く京都観光地より外されたようですが、今は沢山の韓国や朝鮮の方が訪れ手をあわせていかれます。
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